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2011年7月 3日 (日)

マイク・ブラウン

1990年ガリクソンが退団したので呂明賜が1軍に入れるかと思いきや、ジャイアンツは外国人打者を獲得した。それがマイクブラウン外野手だ。
当時の外野手陣はレフト原 センタークロマティー そして ケガから奇跡の復活した吉村 ライオンズから移籍した西岡 前年に一軍に定着した緒方 井上 ルーキー大森 などがいたので、当時中学生の僕には獲得の必要性がわからなかった。どうやら「右の大砲」として期待していたらしい。ジャイアンツは2年ほど前から狙っていたという噂もあった。
いざペナントレースが始まると、そこそこの成績は残したにも関わらず、期待したほどではなく、いい場面でも打ってもにまったく目立たなかった。結局1年で退団。
やはり、外国人にはホームラン量産を期待するのが日本の風潮である。
一軍通算成績70試合 打率.260 本塁打7打点29

2011年6月 1日 (水)

呂明賜(ロ・メイシ)

台湾では捕手だったようだが日本では外野手、アマチュア オール台湾の4番打者だったらしい。
ジャイアンツ入団は、ドーム元年の1988年、当時、外国人は1チーム3人まで1軍登録は2人までだった。クロマティー、ガリクソンがいたので2軍スタート、しかし、ケガで戦線離脱したクロマティーに替わって一軍昇格、6月14日、神宮球場での対スワローズ戦、新外国人ギブソンから初打席初ホームラン、ちなみにこの試合は4-0で勝ち先発の香田勲男はプロ初完封。その後17試合で10本とホームランを量産、それもサヨナラあり、1試合2本ありとドラマチックで、新しいスターの誕生を予感させた。
後にスポーツキャスターとなった長嶋一茂氏が「呂選手の打球は速かったのでサードを守っていて怖かった」と語っていた。彼の活躍は母国でも話題となり、日テレの番組であちらのリトルリーグの捕手をしている選手にサインボールを送るという企画があったほどだった。
しかしその後、フェンスに激突してケガをして打撃フォームを崩したこと、そして内角攻めを克服できず調子を落とし、結局、1年目はホームラン16本
2年目は背番号12に変更、シーズン当初のチャンスを生かせず長い間2軍暮らし、唯一の活躍はこの年の近鉄バファローズとの日本シリーズの第1戦にスタメン起用され、タイムリーを打ったことぐらいである。
その後は活躍できず91年に退団、台湾プロ野球で活躍した。

2011年5月31日 (火)

ジェシー バーフィールド(外野手)

今年のジャイアンツは、ラミレス以外不調だ。
ふと彼のことを思い出した。
93年、ミスターの復帰1年目、ヤンキースで四番を打っていたというふれこみで、鳴り物入りで入団したのがジェシー バーフィールドだ。
。ジャイアンツでは左殺しで活躍していた西岡良洋から、わざわざ横取りして背番号29を付ける。
オープン戦からバッティングだけでなく守備の方も話題になる。
実際に開幕後、5月のカープ戦ではセンターから矢のようなバックホームを見せランナー
を刺し「さすがメジャー」と思わせる。
しかし打撃は26本塁打放ったものの打点は、53と少なくしかも打率,215では当然物足りなく1年で帰国。やはり来日前から懸念されていた手首の古傷が響いたのか。
それにしても今は、このような鳴り物入りで入団が少ないのが、少し寂しい。

2011年2月 8日 (火)

加藤英司(秀司)

今年は、2000本安打達成を目指す小笠原道大選手が気になる。

こんなことを思っていると、昔2000本安打達成目前で苦しんだ選手を思い出した。それが加藤英司である。

1970年代、山田久志、福本と共に阪急ブレーブスの黄金時代の中心選手だった。
その後、83年にカープに1年在籍するも活躍できず、バファローズに移籍し主力打者になり85年には26ホーマー78打点の数字を残す。

今となれば、いくらベテランとはいえこれだけの数字を残した打者が放出されたのには疑問が残る。この時点で2000本安打まで後36本。そんな彼が86年なぜかジャイアンツにやってくる。

というのも加藤英司がずっと守っていたファーストにはチームリーダー中畑がいた。そしてセカンド篠塚、サード原と不動の布陣なので中畑のコンバートもあり得ない。左の代打要員として期待されていたと思われる。しかし前半戦は、それなりにチャンスはあったもののそれを生かせず、後半戦は原のケガで中畑がサードに回ったにも関わらず出場機会はほとんどなかった。

ちなみにこの時ファーストに入った駒田は、初打席満塁弾からしばらく低迷していたがこれが飛躍のきっかけとなり主力選手となっていく。
結局、加藤英司が1年間で放った安打はたった23本、唯一の勲章はカープ戦でホームランを放ち、全球団からホームランを打った選手になったことぐらいである。翌87年南海ホークスに移籍し2000本安打を達成し引退した。ホークスの1年で放った安打はジャイアンツ時代の3倍近い68本だった。あの当時、ジャイアンツの一員となることは相当なプレッシャーだったのだろうかと思ってしまう。

一軍通算成績2028試合 打率.297 本塁打347打点1268

2010年4月15日 (木)

木村拓也 急逝

突然亡くなってからしばらく経つが、未だに悪夢をみているようだ。

決して派手さはないがガッツあふれるプレーが好きだった。ドラフト外から這い上がった姿にも感動した。本人の無念さを思うと言葉もないが、指導者としての彼ももっと見たかった。

決して彼を忘れない。

2010年1月18日 (月)

小林繁氏死去

突然のことで驚き、そして悲しい。現役時代は知らないが、ビデオ等で見た美しいフォームが、とても好きだった。キャスターとしてもとてもカッコ良く、憧れていた。本当に残念だ。

2009年12月18日 (金)

エンゼルス 松井秀喜

まだ赤いユニホームが似合っているとは、言い難いが、新天地での活躍に期待したい。

2009年11月 9日 (月)

ジャイアンツ 木村拓也引退

ジャイアンツの日本一はもちろん嬉しいが、残念なニュースだ。

今シーズンもいい場面で活躍していたので、まだ早いような気がする。

2009年10月 1日 (木)

立浪和義引退

ジャイアンツファンの自分から見ても、魅力ある選手だった。

彼がPL学園の主将だった時代から知っている。その当時から小柄ながら、走攻守において華麗なプレーが印象深い。

あの「10.8決戦」で一塁にヘッドスライングをして、肩を痛めた姿が忘れられない。

2009年9月25日 (金)

ジャイアンツ V3

とはいうもののCSがあるので喜べない。ドラゴンズが不気味だ。

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